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日記形式でつづる いがぴょんコラム ウェブページです。
ふと、インターネットって何なんだろうと思いました。20世紀末に、よくそのような問いかけがあったように記憶します。今あらためて それを勝手に考えてみます。
ふと、インターネットって何なんだろうと思いました。20世紀末に、よくそのような問いかけがあったように記憶します。今あらためて それを勝手に考えてみます。
アプリケーション観点
昔は、ファイル転送(FTP)と電子メールがインターネットを表していたように覚えています。 今思えば、専用ソフトを用いる、接続先アドレスを知っている必要がある、などの制約がありました。
ある時、ハイパー・テキスト(HTML)なる形式とともに Webブラウザなんてものが登場しました。この時から、インターネットの主役は Webブラウザに変わったような気がします。 感覚的には、Webブラウザという汎用ソフトを用いるだけでインターネットにアクセスでき、しかも視覚的に表示できるというのが衝撃的でした。(テキストに付加情報があって視覚的であるということ)
Google のような検索エンジンが登場れたのは衝撃的でした。その当時の Google 検索エンジンは (現在に比べて) かなり適確な検索を実現していたので、人々は接続先アドレスに対して無頓着になったように感じます。キーワードだけで希望するページが開くのですから。(ああ、私の中では Google 検索エンジンはアプリケーションだなぁ…)
ブログ (Web日記)や Wiki などといった、手軽に Webコンテンツを作成できるようになったことも画期的です。見るだけではなく作るのも手軽になったのですね!
イマドキはインターネット上の仮想店舗でお買い物するのが普通になってきました。私ですらインターネット上で買い物をするものなぁ。昔からは想像できません。
おしなべて、「汎用アプリケーション」であり、かつ「視覚的(テキストであるということも含めて)」であるというのが 凄いポイントだなぁ、と思います。
インフラ観点
そこいら中のサーバーがネットワークにつながっているというのは、登場当時からの画期的な特徴です。
自宅に対して ADSL や 光回線などの回線速度が向上したインフラが表れたのは衝撃です。
さらに最近はケータイでインターネットにつながるのが凄いです。昔からはとても想像できません。一方で、ケータイの画面デバイスの制限につられて、低いスペックのほうに引きずられているのも、これまた興味深いです。
いやはや、インターネットのインフラ充実ぶりは凄いものです。でも、これから もっと充実していくのでしょうね。
現状で不充分だと思われるもの
物理的な位置情報と Webコンテンツとのつながり、ということでは、いま一歩感があります。
Webコンテンツ同士の関わりの表現についても、いま一歩感があります。
それが、人間同士の関係、あるいはリアルな物理的な関係などと相似であるべきなのかどうか、は私には不明です。
次の一手
次のイベントということで、また想像を絶するような何かが登場しそうな気がします。それが何なのか、にわかにはわかりませんが、徒然に考えてみたいです。ただし、少なくとも、インフラ側というよりはアプリケーション側から、何かが表れるような気がします。そしてそれは、汎用アプリケーションの枠組みは超えず、しかも視覚的な何かであるような気がします。あるいは、その要素に何か衝撃的なものが付加されたような、そんな何か。
さて、何でしょう? と考えていると知的好奇心が沸きます。
Webコンテンツを作る側の何か、かも知れません。あるいは閲覧する側の何かかも、、、。
今のインターネットはテレビの代わりにはなりきっていないように思っています。おおざっぱにコンテンツ的観点で考えてみたら、以下のようになります。(ほんとうに すごくおおざっぱです。書き下ろしですもの。多くを期待しないで)
テレビ
新しいことを教えてくれるもの(であった)。今ではインターネットの方がより新鮮。
基本的に「快楽」や「知的好奇心」を満たしてくれるもの。
基本的に正しいことを伝える(はず)。
受動的
時間的な制約がある
インターネット
新しいことを教えてくれるもの
楽しいことも載っているが、楽しくないことや不快なことも載っている
(おおざっぱにいうと) 内容の正しさなんて 基本的になにも保証されない
能動的
時間的な制約がない
テレビでは基本的にあまりにも不快なものは放送しない傾向にあると考えます。あまりにも不快なものを放送してしまうと、放送局にクレームが多く寄せられたり、スポンサーが離れたりと、さまざまなデメリットがあります。その分安心して見られます。見ていて気に入らなければ テレビのチャンネルを変えたり、あるいは電源を消してしまいます。そして、テレビ番組のほとんどには編集を担当する人間による編集という作業が入っています。
ところが、インターネット上には不快な情報もたくさん載っています。そして多くの場合、(残念なことに) 自分から能動的に見ているためか、不快なページになぜか 留まってしまう傾向にもあります。時間的な制約がないのも影響しているのでしょう。不快なのなら見なければ良いのですが、これがどっこい、見てしまいます、、、。インターネット上のページのごく一部については編集を担当する人間による編集という作業を経ていますが、大多数のページは編集作業なんて入っていません。これもテレビとは違う点です。
論点が よれよれにずれてきましたが、そんな感じのところが 違う点かなぁ、とふと思いつきました。(ああ、このページについて、編集作業なんてものは自己編集も含めて ほとんど入っていません)
ここに インターネットの次の一手があるかも知れません。検索エンジン観点だと、
不快なものを検索対象からはずす検索エンジン
あるいは 自分が信じる人が不快ではないとマークしたもののみ検索対象とする検索エンジン
編集が入っていないページを検索対象からはずす検索エンジン。
不快なページをフィルタリングしてくれるフィルター・ゲートウェイ。
有害なページを除くのはもちろん、これって不快かも、というページもフィルタリング。
でも、フィルタリングは、使い勝手的には悪いのですけれども、、、。やはり検索対象から除外がベター。
そんな製品・オープンソース・あるいはサービスが既に世の中にあるかも知れませんけれどもね。
これは、快/不快だけではなく、有益/無益、充実・内容無し、専門的/一般的のような、いくつもの観点で分類されるべきかも知れません。そして、おのおのが「未分類」も表現できていると、希望するページに辿り着きやすく、そして希望しないページは見ないで済む、そのように考えます。ああ、不快というようなネガティブなパラメータは無くして、ポジティブのみマークが良いようにも思えてきました。ポジティブ・シンキングのほうが副作用が少なそうです。
別観点だと、分類分けも含めて、ブックマークを人と仮想的に共有できる? (その人というのは、価値判断が似ている人同士) なんてのも良いかも知れません。ああ、これだ、価値判断が近い人の判断が反映された、なにか機能がこれが意味がありそうです。
、、、今日の日記、本当につれづれだなぁ、、、。