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日記形式でつづる いがぴょんコラム ウェブページです。
Java言語が普及したり、Web日記が流行したりと イベント盛りだくさんな一年でした。
忘れないうちに 2003年を振り返っておきます。いろんな意味で 濃密な一年でした。(というこの文章そのものは 2004/01/01に書いているのであった…)
今年は Java言語は熟成の一年だったと思います。もはや Java言語は ごく一般的で且つ最初に採用を検討すべきプログラミング言語の一つにまで成熟しました。私がJava言語を仕事で扱い始めた頃 (1998/10頃)は 全然 そんなのではなくって 初ものマニアが扱う 海の物とも山の物ともわからない、リスク満載の不思議なプログラミング言語だったのですが…。(とりあえず当時は日本語処理でつまづくことが多かったように記憶しています)
Java言語を普及させたかった私としては 大変喜ばしい事でした。しかし反面 Java言語技術者の希少価値がどんどん低下し、それと連動してか Java屋に付けられる値段が下がったようにも思えています。(少なくとも 単なるシステムエンジニアやプログラマーとしては活動できなくなりました)そのあおりを食ってか、私は 今年は C#に従事することが多かったように記憶しています (苦笑) この点は 私および所属チームの売りを売り込むやり方に工夫が必要だと痛感しました。
Java言語は普及したのですが、この年にリリースされた 最新版 Java2 SDK Standard Editionは それまでのJ2SE SDK とは異なり 品質が低下していったようにも思っています。普及期に入り焦りが出たのでしょうか、言語仕様やAPIなどに新機能を盛り込もうとした試みが裏目に出ているように私は感じています。(私は 1.4.2_01 Windows版が 特に不満でした)
2003/06/28 日記: Sun J2SE 1.4.2 リリース , .NET Framework 1.1の一撃 Sun Java2 SDK SE 1.4.2がリリースされたのが 06/28頃ですね。ちなみに私はこの頃 C#の仕事に従事していたというオチです。
2003/10/19 日記: 『改訂版Java言語プログラミングレッスン』が発刊の運びに 結城浩さんの名著が改訂版として出版されました。私はこのニュースを大変歓迎しました。というのも このような名著が改訂版として版を重ねるということは 結果的に Java初心者にとっての入門の難易度を下げる効果があるのですもの。また これによって 改めて Java人気の確かさを実感しました。
Java言語は COBOL言語やC言語と同様の 安定して利用できる信頼に足るプログラミング言語に成長したのですね。感無量です。ただしそれ故に 私は仕事の仕方を変えないと行けないというジレンマもあるのでした (苦笑)
オープンソースが 日本の企業情報技術において広く流行りました。その前の年まではやれライセンスがどうのこうのだとか オープンソースのソフトウェアの信頼性が低いのだとかどうとかでオープンソースというものの採用に対して 日本企業は冷ややかだったように感じています。それがどっこい、2003年は一気にオープンソースが採用される機運が高まったように感じています。まあ 2003年は 日本国内の世間一般的には不景気まっしぐらだったので、ライセンス料がとりあえず無料 (であることが多い) オープンソースに経営者の目が移ったのも必然かも知れません。特に Apache Jakarta関連プロダクトは それ無しではWebサイト構築がままならないという技術的な背景もあって猛烈に流行りました。Jakarta Strutsなんて 私たちが仕事で従事し始めた頃は『何それ』的な扱いだったのですけれども、今では 利用しない方が異常に思えるご時世ですものね (大体の他のプロダクトを利用するのは当然アリです)。私としては もっと 価格以外の面でのオープンソースのメリットに世の注目が集まって欲しい気持ちで一杯なのですけれどもね。
Linuxサーバの『常識化』
2003/12/19 日記: Linux 2.6.0 リリース! 今年は 企業でのLinux利用が常識化しました。サーバ採用は以前から一部の人間の間では常識だったのですけれどもね。そして 2.6.0カーネルという最新版Linuxカーネルがリリースされました。
Apache Jakartaの浸透
2003/07/01 日記: Jakarta Struts 1.1 リリース , Mozilla 1.4 リリース , Java Mail 1.3.1 リリース 2003年時点では JavaでWebアプリケーションを構築する際に必須のアイテムの一つに位置づけられていました。
Eclipseが大ブレーク
2003/04/03 日記: Eclipse 2.1 リリース 2003年は Eclipseの人気が加速しました。猛威をふるいまくりました。私がいろんな所で見かける人の多くが、(自発的に) Eclipseを採用しているのですもの。使い勝手が非常に良く 動作も機敏である上に無料であるという、もはや誰も止めることができないほどの人気爆発ぶりです。JBuilderが支給された開発現場で Eclipseを利用しているエンジニアを何人も見かけました。ちなみに そう言う私は テキストエディタ + Jakarta Ant (ビルドツール) という古典的な組み合わせで 2003年は乗り切ってしまいました。何とか Eclipseを採用してみようと試みたのですが、2003年の間には Eclipseへの移行という難題は実現できませんでした。
2003年は 私のように『Web日記を書く』という人たちが急増しました。とりあえず Web日記に BLOGやWebLogなどのような固有名詞まで付けられるという騒ぎです。日本の大手インターネットプロバイダーの一つであるNIFTYのような企業までもが個人向けWeb日記サービスを提供始めるなど もはやWeb日記は だれもが気軽に開始したいインターネット情報発信の一つのスタイルへと成長しつつあります。その昔 私は日記を書いていて『個人の日記を見るなんていう物好きが、この世には存在するの?』と問われたものですが、それが今や Web日記を書くことや Web日記を読むことが 常態化しつつあるこの世の中、とにかく世の中の進化(というか変化)にびっくりです。
ちなみに 私の日記は 手作りされた Javaアプリケーションで実現されています。手作りゆえの小回りにて他のWeb日記とは差別化を図っていきたいとも思っています。でも一方で いつかちゃんと整理して 『いがぴょんの日記フレームワークキット』のようなものをリリースしたいとも思う今日この頃。ちなみに現時点で まとめて一式持っているのは アルファシステムズの菅村さん ただ一人です。
まず 私とRSSとの出会いを振り返ります。私が結城浩さんに触発されてRSSに手を染めたのが2001/02/19 頃からです。今振り返っても RSSを私に紹介して下さった結城浩さんには 大変感謝しています。とってもタイムリーだったのですもの。というのも本来のRSSの活用方法からはそれるのですが、当時の私の日記システムが抱えていた問題点を RSSが一気に解決することになったからです。当時も以前から 日記のインディックスページのタグイは機械的にJavaのアプリケーションで実現されていたのですが、RSSの導入によって 2001年から私の日記システムは 徐々にRSSベースに改良されていき、そして いがぴょんの日記v2になる際に全面的に改善されて現在に至ります。今や いがぴょんの日記のシステムは RSS無しでは考えられません。
そんなこともあって 私は RSSを使い込むことになりました。そうすると 世間でRSSが出回った方が便利であるということに気がつきました。それをきっかけに 私は RSSを世間的に流行らせる事を目標とすることになりました。2002年の抱負が丁度 RSSを流行らせることだったように覚えています。(たまに記憶が怪しいですが…) 2002年の間に RSSは流行りませんでしたが 2003年で ようやく RSSが流行したように思えています。印象に残る RSS提供開始サイトは下記のようになります。
2003/08/20 日記: 評価用環境作成 , @ITがRSS配信開始 RSSを普及したかった私は大喜び。
コンピュータ情報をRSS提供されて嬉しい私としては 特に CNET Japan と @ITのRSS配信開始はビッグニュースです。とっても嬉しかったです。そして今も活用しています。弊害は、、、RSSに頼りっきりで @ITやCNET Japanのトップページは ほとんど見たことが無いという点です。これは提供者側の意図とは異なっているようにも思います。 ここで @IT社 や CNET Japan社 に提案なのですが、RSSに ある程度の頻度で広告を混ぜておく というのはどうでしょう。刺激的なキャッチでタイトルなどを設定しておいたら クリックされること間違いなし。発想の転換な提案だと 私は思うのですが、どうででしょうか? (笑)
切り口は変わりまして、私は今年 下記の2テクノロジーにびっくりしました。ごく一般的なローテクなのですが、しかしこれが普段のコンピュータ情報処理において出くわすと 意外にもびっくり仰天なのでした。
2003/01/23 日記: 無料なWindows用LANパケットキャプチャー FreePeek Web系アプリケーションに従事していると どうしても ネットワーク上のデータを閲覧してみないと 問題や障害の克服が極めて困難でした。特に Webプロキシサーバが問題の起因となっている場合 どうしても ネットワークを閲覧しないと 問題がさっぱり分かりませんでした。そのような状況下において、無料のLANパケットキャプチャーソフトは とっても役立つ 素敵なソフトウェアでした。FreePeekには 大変お世話になりました。
2003/10/07 日記: NTFS領域のアロケーションユニットサイズ(クラスタサイズ)のあるべき設定値とは? 扱うファイルの特性に合わせてHDDのクラスタサイズを工夫することが必要だというのは 以前から知ってはおりました。しかし実際に巨大なファイルを扱ってみると『本当に』クラスタサイズを工夫することが必要なのだ、ということを思い知らされました。特に MPEGやAVIファイルなど 巨大なファイルを扱っていくと デフォルトのNTFS領域のアロケーションサイズ(クラスタサイズ)設定では 適切にHDDをハンドリングできないのですもの。これにはびっくり仰天です。
いろいろな背景があり 私の仕事という意味でも激動の一年でした。
Javaパフォーマンス専門家へと育っていく私 1999年頃から 仕事でJavaアプリケーションでミリ秒を削っていた経験があります。その経験が 今 大いに開花しています。実のところ 私って Javaパフォーマンス関連技術にとっても詳しいんです。自分でもびっくりです。
勤務先がいきなり NTTデータの子会社に変わってしまいました 会社の会議にふと招集されたところ、自分が勤務する会社が NTTデータの関連会社へと変わるということを いきなり言い渡されました。
2003/09/01 日記: 今日から私の勤務先が変わります 冗談っぽく言ったら『気がついたら転職していた』という 気分的にはそんな感じです。実際の所 仕事的には 丁度 従来の仕事の仕方が行き詰まっていたところなので、NTTデータの子会社化が 私のビジネスとしては追い風になっております。大変助かりました。グッドタイミングだったです。
東京シフト 関西は不景気なのかしらん (T_T)
2003/09/10 日記: 東京長期ロード準備画策あれこれ 特に この頃から東京に行きまくっています。
2003/12/01 日記: MS-DOS用プログラムをWindows XPマシン(またはx86パソコン)で動作させる方法 そして遂に 東京の某案件へと投入されました。
なんだかものすごい一年だったなぁ。しかも 仕事はほとんどC# + Webサービスという組み合わせなのですもの。ほとんどJavaをやっていない年でした。
クラシック音楽活動として
2003/01/20 日記: ASP.NET + Visual Studio .NET で Webサービス ベートーベン弦楽四重奏曲 『ラズモフスキー1番』 を演奏しました! SQマニアとしては この上ない幸せでした。
2003/06/01 日記: 和音ヴァイオリンデビュー 子どもをヴァイオリンレッスンへと連れて行きました。
Web日記執筆者として
2003/10/11 日記: 新幹線混みまくり , @IT社訪問 この時に @IT社とのつながりをゲットしました。
2003/03/10 日記: いがぴょんの日記OFF@東京渋谷は盛況の内に終わりました 偶然 原田洋子先生にお会いすることができました!
2003/06/20 日記: Jakarta Commons EL Component 2.0 (最初のリリース) とらねこさんの日記に ぴくぴくと反応しだしたころが この頃 (だと思われます) このときは よもや とらねこさんと ○○○つながりになるなどとは 思いにもよらなかったのですが… びっくり仰天です。
パソコンでのテレビ視聴&録画&DVD焼き付けにハマる
2003/04/08 日記: GV-1394TV購入 , DV編集コトハジメ まず パソコンでのテレビ録画に手を染めました。
2003/04/22 日記: WebLogic Server 8.1J記事執筆用メモ この頃 MPEGへのソフトウェアエンコードにハマっていきます。
2003/10/08 日記: 今日は書籍執筆。明日から東京出張 NECのSmartVisionという ハードウェアエンコーダー付きで しかもソフトウェアが良くできた テレビ視聴&録画ハードウェアを購入しています。特におまかせ録画機能がハートをヒットしました。この当時 おまかせ録画機能はパソコン系では唯一だったかと思われます。
日常生活として
2003/11/20 日記: 高見はり灸院という はり灸院を発掘 , 今日は雨 関東で鍼灸院を発掘しました。これによって 東京長期出張でも大丈夫な体制になりました。そしてむしろ この鍼灸院の方が 私の身体には合っていたようでして、おかげで快適に生活を送ることができています。高見はり灸院には 大変感謝しております。
子どもが見た番組
特に ピタゴラスイッチという論理思考教育番組、マテマティカという数学入門教育番組に子どもがハマりました。
なんだか こう振り返ると 2003年は 激動で ものすんごい一年だったなぁ。2004年はあんまり 過激に激動になって欲しくないなぁ…。まあ どうなるのかは 蓋を開けてのお楽しみということで。